挨拶するほうがいいと思っていること

 思っていることを書きます。

 

 最近、上の子が褒められました。

 近所を歩いていたとき、正面から歩いてきたご夫婦に「こんにちは」と挨拶をしたからです。とても褒めてくださって、「ちゃんとご挨拶できてえらいね〜」などいろいろと子供を褒めてくださり、上の子も満更でもない顔で笑っていました。

 

 挨拶ができてえらいかどうかという議論をここではしませんが、私は子供にはきちんと挨拶のできる人になって欲しいと思っています。

 理由はいろいろあります。もちろん、挨拶ができれば小さいうちであれば褒めていただくこともあり、子供の満足感や達成感にもいい影響があるでしょう。でもそれは他のことでも満たすことができますし、それだけのために挨拶を教えているわけではありません。

 

 理由のうちの一つは、挨拶をすることで子供が安全に過ごせるようになるだろうと思うからです。

 

 

 今まで、私は道ですれ違う人にも、目があったのなら軽く会釈をし、声を掛けられればそれに応じる挨拶を返すことを心がけてきました。もちろん、自分からすることもあります。

 なぜそうするかといえば、そうすることで「あなたの存在をちゃんと確認しましたよ」と、よくも悪くも相手に伝えることができるからです。

 今、私は直前の文章で、「よくも悪くも」と書きました。これは、実は私の中で防犯の部分がとても大きいのです。

 

 「よくも」の部分は、相手に対してその人のことを無視していませんよと伝えることが、ひいては子供の印象をよくし、子供を認識していただくことにもつながるのでこのように書きました。

 「悪くも」という部分。これは「あなたの存在をちゃんと認識しましたよ」という意思表示は、不審者にとっては非常に迷惑極まりないことでもあるからです。一部、認識してほしいタイプの不審者もいますが、それは今は置いておきます。

 基本的には知らない人である他人と挨拶をしてちゃんと挨拶が返ってくるという経験を積むことで、「挨拶が返ってくる人」と「挨拶が返ってこない人」の反応の経験も積むことができます。

 

 私は、この経験を子供に積ませることが大事だと思っています。

 我が子はまだ小さいので、これから大きくなったら小学校に通うことになるでしょう。そのとき、毎日同じ通学路で出会ういろいろな人と挨拶をして、そこに住む人、生活する人を覚え、またその人たちに子供を覚えてもらうことで、ひいては自分自身で身を守り、その人たちに守ってもらいたいと思っています。

 

 私の子供たちはまだ小さいですが、きっとあっという間に私のそばから離れて行きます。まだまだ私は近所を歩くときでも手を繋いだままですが、5年も経たないうちに1日に何時間も息子が私の視界にいない時間を過ごさなくてはならない時がきます。

 そのとき、子供が可能な限りの安全の中で過ごせるように、私は挨拶を教え、覚えさせて送り出したいと思うのです。

 

 「危ない目に遭わせたくなかったら、子供から目を離すな」という人もいますが、そんなわけにもいきません。できることなら私だって、ずっと見守ってあげたいけど。

 

 きっと私の親も、そう思いながら私を教育して、送り出してくれたから。

 

 

 

 

 

 

 

 オマケ

 

 ちなみに、フランスでは挨拶ができない人は礼儀がなっていない、とされてしまうらしく、新婚旅行でフランス領ニューカレドニアに行ったときはものすごく「ボンジュー」と言われました。小さなレディも可愛く「ボンジュー」とおっしゃるので、「ボンジュー」返しが大変でした。オシャレに言えていたかしら?